たけし軍団 残留の理由…伝説フライデー襲撃事件「オレが面倒みる」

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ビートたけしさんがオフィス北野から独立することを発表。

 

これを受け「たけし軍団 残留」との報道が駆け巡りました。たけし軍団が残留を決めた理由には、もはや伝説となったフライデー襲撃事件後の、たけしさんの言葉が関係しているようです。

 

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たけし軍団 残留

「軍団を含め、肩の荷を下ろしたい」としてオフィス北野から独立し、パートナーとされる女性とともに設立した個人事務所で活動をすることを宣言したたけしさん。

 

この報道についてたけし軍団は『オフィス北野に残留する』ことを決意。

 

しかし、実は数年前から弟子たちが『独立して好きなことをやったらどうか』と進言していたことが分かりました。

 

オフィス北野の実態は、収益のほとんどが実質ビートたけしさん一人の売り上げで成り立っているという事実があり、北野武として撮る映画製作もまたしかりです。

 

ほぼ一人でたけし軍団の面倒を見ているような状況ですが、それには過去の起こした事件、伝説となったフライデー襲撃事件が関係しているのかもしれません。

 

伝説フライデー襲撃事件

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若い人は知らないかもしれない、この騒動。

 

そもそもは、当時ビートたけしさんが交際していた女性に対する、フライデー記者の過剰取材が原因だったと言われています。

 

1986年12月8日、東京都渋谷区の路上で、ビートたけし(以下「たけし」、当時39歳)と親密交際していた専門学校生の女性(当時21歳)に対し、『フライデー』の契約記者が、女性が通う学校の校門付近でたけしとの関係を聞こうと声をかけたが、それを女性が避けて立ち去ろうとしたため、記者が前方に立ちふさがってテープレコーダーを彼女の顔に突きつけ、手を掴んで引っ張るなどの行為に及び、頸部捻挫、腰部捻傷で全治2週間の怪我を負わせた。

引用:フライデー襲撃事件 - Wikipedia

 

よく考えたらこの時点ですでに刑事事件ですよね。女性に対する暴行です。情にあついビートたけしさん、さすがにこれには激怒。フライデーに直接電話をします。

 

これに怒ったたけしは、フライデーの発行元である講談社に電話をかけ、強引な取材に抗議した上、「今から行ってやろうか」と通告し、翌12月9日の午前3時過ぎ、たけしは彼の弟子集団たけし軍団メンバー11人と共謀して、タクシー3台にそれぞれ4人ずつ分乗し東京都文京区音羽にある講談社本館のフライデー編集部に押し掛け、その結果、暴行傷害事件へ発展した。

 

田中康夫による裁判傍聴記においては、当初たけしは手を出さないよう軍団メンバーに言っておいたものの、当時の編集次長による「自分は空手が得意である」旨の発言をはじめとした、編集部員の挑発的言動が原因で暴行に至ったと記されている。報道によれば、たけしが「担当者を出せ」と迫った後、どちらからともなく一斉にもみ合いになった。

 

たけしらは「ブチ殺すぞ、この野郎!おれは刑務所行きも覚悟している!」などと怒鳴りながら、粉末消火器を噴射した上、同誌の編集長及び編集部員らに室内にあった雨傘や拳で殴打したり蹴ったりして、肋骨骨折などで1ヶ月から1週間の傷害を負わせた。たけしらは住居侵入・器物損壊・暴行の容疑で、大塚警察署によって現行犯逮捕された。

引用:フライデー襲撃事件 - Wikipedia

 

この時、つまみ枝豆は一緒にはいませんでした。

 

その理由はたけしが「枝豆には連絡するな」とたけし軍団に言っていたためで、彼は熱狂的にたけしを崇拝していたため『何をするか分からない』との思いがあったからだとか。

 

この騒動の際、「おまえらの面倒は一生見るから」と語ったエピソードはあまりにも有名。その言葉通り、たけしさんはオフィス北野にたけし軍団に所属させ、今日まで面倒を見てきたことになります。

 

「スーパージョッキー」や「お笑いウルトラクイズ」などで人気度をあげてきたたけし軍団ですが、残留しても師弟の絆は変わらない、と話しています。

 

たけし軍団が残留を決めた理由は、たけし軍団のことを考えず、自由にやってほしい、そんな思いがあったのではないでしょうかー。

 

来年はNHKの大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)」にも落語の神様として出演することになっているビートたけしさん。今後の活躍を応援したいですね。

 

以上、たけし軍団 残留の理由…伝説フライデー襲撃事件「オレが面倒みる」のまとめ記事でした!!

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